春。
 三年生になった春日。
 教室を見渡すが佐伯の姿はどこにも見当たらない。
 クラス替えは二人を別々なクラスへと引き離していた。
 冬の一件以来、挨拶程度は交わすようになった。
 だが、それだけだ。
 以前のように親しく話をすることは無くなった。
「大阪。なにしてるんだ?」
「あ〜・・・うぅん。なんでもあらへんよ」
 そうは言うが、春日の声には元気がない。
 春になり運動系の部活も始動し始めた。
 佐伯の野球部もほとんど休みが無い。
 もう、彼が公園で素振りをすることも無いだろう。
「いけばいいじゃん」
 滝野が寂しそうな顔の春日に向かって言う。
「そんなに寂しいなら行って、自分の想いを伝えてくればいいじゃん」
「えぇんや。見てることが出来れば」
 春日は首を横に振る。
「それに、甲子園行くために頑張ってるんや。邪魔しちゃあかんやん」
「大阪。それは逃げだぞ?そりゃ、私も前は色々言ったけどさ、でも、そんなに好きなら」
 春日の手が滝野の口を塞ぐ。
 そして、もう一度首を横に振った。
「そうか。なら、私たちが出る幕じゃないな。けど、それならもう少し元気を出せ。それじゃあ、同情を誘ってるようなものだぞ」
 滝野の後ろで話を聞いていた水原が口を挟む。
「うん・・・よみちゃんはかなわんなぁ」
 微笑む春日。
 だが、その表情はもの悲しい雰囲気をかもし出していた。

 野球部の練習が始まる。
 新しいオーダーにも慣れてきて、やっと打撃と守備が繋がりはじめてきた。
 いや、去年の秋の惨敗をバネに、冬に鍛え直した部員たちの力は秋の何倍もの実力をつけたためかもしれない。
 佐伯のバットも快音を響かせ続けている。
「やってるやってる」
「冷やかしならお断りだぞ。ま、部活に入ることを前提に見学に来てるならいいんだけどな」
「まさか。3年になって部活に入るわけないだろ」
 バックネット裏に立つ長谷川。
 その隣で練習を見る佐伯。
「で、用はなんだ?お前がなんの用も無しにグランドに来るとは思えなんだが?」
「ほれ」
 長谷川がポケットから白い封筒を取り出す。
 表には丸まった字で佐伯様と書かれている。
「俺にはその手の趣味は無いぞ」
「俺もだ。頼まれたんだよ、妹にな」
「妹なんていたのか?」
 封筒を受け取ってポケットにしまう。
「出来の悪い妹だ。んじゃ、練習頑張れよ」
「おう」
 長谷川が校舎の方へと歩いてゆく。
「出来の悪い妹・・・ね」
 佐伯はもう一度封筒を手にとって書かれた文字を見る。
 見覚えのある文字。
 そして、長谷川に妹が居ないことなど、友人である佐伯は知っていた。

「あ〜。懐かしぃ〜」
「神戸!!」
「みなさん、お疲れ様でした」
「いや。疲れるのはこれからだろ」
 神戸駅。
 そこのエントランスに春日・滝野・美浜・水原の4人が立っていた。
 佐伯の所属する野球部。
 地区大会では快進撃を続け、去年の優勝校を破り、ついに夏の甲子園のキップを手にした。
 4人はその応援のために夏休みを利用してここに来ているのだ。
「榊さんと神楽さんは午後にならないと来ませんし、どこかで時間を潰して待ってましょう」
「さんせ〜」
 駅を出て、手近な喫茶店へと足を運ぶ四人。
「いらっしゃいませ。4名様ですね。こちら・・・あ。春日か?」
 店員の男性が春日の顔を見て尋ねる。
「お〜・・・誰やったっけ」
「あら。あんなぁ、3年前まで同じクラスだった俺を忘れんなや。沖や、沖。ほんまに覚えてへんのか?」
「お〜おぉ〜。沖君や。東京弁やからわからんかったわ」
「お前は声と言葉で判断してんのかい」
「あははは」
 彼女が神戸に居た頃の旧友。
 それだけに掛け合いもバッチリあっている。
「沖!!」
「あ、バイト中やった。ごほん。こちらの席へどうぞ」
 沖が春日たちを席へと案内する。
「友達か?」
「うん。沖君ゆうてな、結構一緒に遊んだ仲や」
 4人はお茶を飲みながら話をする。
 時たま、沖が会話に加わっては、店長に怒られ仕事に戻ってゆく。
「なぁ、よみ」
「うん。大阪の顔。だろ」
 心からの笑顔。
 去年の秋からほとんど見せることの無かった表情。
 春日を心配しているからこそ、今回の応援を計画した滝野と水原にとっては複雑な心境だった。

 並んで歩く沖と春日。
 榊たちと合流するために店を出たのだが、丁度、沖のバイトの終わりと重なったために彼も一緒することとなった。
「ふぅん。春日のとこの学校が甲子園でるんか。えぇなぁ」
「沖君とこはでとらんのか?」
「あ〜、無理や無理や。俺んとこ弱いんよ」
 二人だけ先を歩く。
 数歩送れて榊、神楽が合流したメンバーが歩いている。
「どうよ、あの二人」
「どうもこうもないだろ。ま、私たちがこれ以上は首突っ込む必要もないだろ」
「そうですね」
 6人が泊まるホテルの前まで歩いてきた。
 最初から最後まで春日は沖と楽しく話を弾ませていた。
「じゃあ、春日、また明日な」
「ほなな〜」
 沖が押していた自転車にまたがり走り出した。
「明日?」
「大阪、明日って佐伯の試合だぞ?応援に行かないのか」
「大丈夫や。沖君、球場まで送ってくれるさかい。応援には間に合わせるで」
 笑顔でホテルに入る春日。
 残りのメンバーは先ほど以上に複雑な顔つきだった。
「私帰ろうかな」
「はっ!?何言ってんだ、とも」
「だってさぁ」
「でも、甲子園に出るのすごいから・・・春日さんと佐伯さんのこと抜きでも」
「そうそう。応援するだけしようぜ」
「そうですよ。それに、勝ったら佐伯さんと一緒に喜びましょう」
 あまり高校野球に興味の無い滝野は未だに渋い顔をしている。
 少しだけギクシャクした感じのまま、その日は過ぎていった。

「ついに試合だ。一戦負ければ終わりだからな。死ぬ気でやれ」
 野球部の顧問が檄を飛ばす。
 ぶっきらぼうで、乱暴な言葉遣いのため誤解されがちだが、生徒想いの先生だ。
「大丈夫だ。俺たちは強い。行くぞ」
『お〜!!』
 佐伯の掛け声にあわせ、部員たちも声をあげる。
 場所は彼らが泊まっていた旅館のロビー。
 旅館の従業員や他の客も彼らを応援してくれる。
 客の中には同じ高校の生徒がちらほら。その中に長谷川の姿もあった。
「よっ」
「来てくれたのか、サンキュ」
「そりゃ、甲子園だもんな。でだ。あいつらも応援に来てるぞ」
「あいつら?」
「・・・出来の悪い妹たちさ」
 それを聞いて佐伯はバツの悪そうな顔をする。
「嫌なのか?」
「まさか・・・無様な姿は見せられないなと思って」
 一瞬、佐伯は何かを考え込む。
「そういうことだ。頑張れよ。試合も春日も」
「・・・おう」
 それだけを言うと佐伯はバスに乗り込む。
「やっぱり、あれは春日だったんだ」

 球場の前。
 選手を乗せたバスが止まる。
 バスを降りる佐伯。
「よっ。応援に来たぞ。ふっふっふ、感謝しろ」
「リラックスしていけよ」
「今日は頑張ってください」
 滝野たちが降りたすぐ側に立っている。
「当たり前だ。目指すは優勝!」
「おぉぉ。頼もしいぜ」
「・・・大丈夫。佐伯さんたちは・・・勝てる」
 佐伯の前に立つ5人の少女。
「春日は?」
「あ、あの。ちょっと寝坊しちゃって」
「・・・昨日一緒だった男か?」
「なんでわかるんだ!?佐伯エスもご」
「バカ。なんで、そんなこと言うんだよ」
 水原が滝野の口を塞ぐ。
「やっぱそうか」
「昨日、私たちを見つけたらな声をかけてくれればよかったのに」
「ん。まぁ、楽しそうに笑ってたし。まぁいいかなって」
 苦笑する佐伯。
「本当にいいのか?」
「ん?」
「本当にいいのか?だって、大阪も佐伯も」
「いいんだ・・・俺は彼女を笑わせてあげれなかったから。滝野、ごめんな。あと、心配してくれてありがと」
「バカ・・・言う相手が違うだろ」
 滝野がうつむく。
 他の4人も同じだ。
「んじゃ。会場に入るよ。頑張るから、応援してくれよ」

「あかん。試合はじまってしまうやん。もう行くで」
「春日」
 沖が春日の腕を掴む。
「好きや」
 沖がバイトしているあの喫茶店の中。
「え?」
「お前のことが好きなんや」
 沖が春日を見つめる。
 手を離し、立ち上がる。
「私」
「高校卒業したら、東京に俺も行く。そしたら・・・一緒に暮らさへんか?」
 彼女の肩を掴み抱き寄せる。
「ぁっ」
「幸せにする。だから」
「・・・沖君・・・私・・・」

 高く打ち上げられた白球は、その勢いを落とし、外野のミットに収まる。
「すまん」
 アウトになったバッターが戻ってきて一言つぶやく。
 ネクストバッターサークルに居る佐伯。
 彼に対して言ったものだった。
 最終回にして0対1。ツーアウト。ランナーは2塁。
 守りに特化した相手チーム。
 最初の緊張していたスキをつかれ、1点を取られた。
 対し、佐伯たちはこの回のツーベースヒットを除いてはヒットは出ていない。
 佐伯も三振とゴロで打ち取られている。
 そんな状況で佐伯がバッターボックスに入る。
「ま、初出場にしてはよくやったほうじゃないか?」
 キャッチャーが佐伯に対して言う。
 このチームの心理作戦の一つだろう。
 最初からキャッチャーはバッターに対してボソボソ囁きかけていた。
「俺たちは去年ベスト8まで行ってるからな。負けても恥じじゃないさ」
 冷静を装っている佐伯も、集中力はすでに無いに等しい。
 それほどまでに、初出場とキャッチャーの心理攻撃。そして、春日のことが彼を追い詰めていた。
 ピッチャーが振りかぶってボールを投げる。
 バットは空を裂き、ボールはキャッチャーミットに収まる。
「す〜・・・は〜・・・」
 深呼吸するがあまり変わらない。
 第二球。
 ボールがバットの上部をかする。
 高く上がったボールはそのまま、バックネット裏に落ちていった。
 ツーストライク。
 ピッチャーにとっては最高の。バッターにとっては最低のカウント。
 佐伯の頭に去年の地区大会がよぎる。
 春日の応援を受け、ホームランを打ったあの試合を。
「今日はさすがに来ないか」
 バットを握り、ピッチャーを凝視するがなかなか投げてこない。
 審判の方を見ると、タイムの構えを取っている。
「ん?」
 審判がタイムを指示しながら見ている先。そちらは、佐伯たちのベンチの方だ。
 佐伯もバットを構え直しながらそちらを見る。
「な!?」
 佐伯の目に映ったのは、一人の少女がチームメイトに抑えられている姿だ。
「放してぇな。応援するんや」
「だから、ここは部外者以外は立ち入り禁止だ。応援するなら客席で」
「ダメや。もう、時間ないやんか。応援したら、すぐに戻るさかい」
 春日歩。
 少女は目に涙をため、顧問の先生に懇願している。
「・・・春日!!」
 佐伯が叫ぶ。
 ベンチに背を向け、バットを片腕で高く高く上げている。
 誰もがその動きを止め佐伯に注目する。
「ありがとう」
 バットを構え直し、ピッチャーを睨む。
 ベンチの騒動が納まりタイムが解ける。
 地区大会とは違って冷静なピッチャーだ。
 何事もなかったかのように、先ほどと同じテンポでボールを投げる。
 しかし、佐伯は先ほどとは違った。
 集中力を取り戻した佐伯のバットは、ボールを芯でとらえ快音を響かせる。
 青い甲子園の空に白球は吸い込まれていった。

「おめでとう」
「ありがと」
 球場の外で春日と佐伯が顔をあわせる。
 長谷川と滝野のお膳立てだ。
「春日のおかげで勝てたよ・・・これで、2度目だな」
「えへへ。私は勝利の女神やもん」
 ほんのりと染まった頬。
「・・・そういや、一緒だった男は?」
「あ〜、しっとるんや。沖くんな・・・告白されたんや」
 黙り込む二人。
 セミの鳴き声だけが耳に入ってくる。
「そ、そうか」
「えぇんか?」
「え?」
「私が、沖君と付き合ってえぇんか?」
 うつむいた春日の顔は佐伯からは見えない。
「昨日。春日の顔を見てたら。すごい笑顔だったから」
 また、沈黙が二人の間に訪れる。
「なら・・・私・・・行くわ・・・沖君・・・待ってるさかい」
 佐伯に背を向け歩き出す春日。
 一歩。また一歩とゆっくりと歩き出す。
「・・・っ」
 背中から抱きしめる佐伯。
 目を瞑り背中を預ける春日。
「行くな」
「・・・うん」
「俺でいいんだよな」
「うん」
「いらいらしてると、好きな子でも八つ当たりしちゃうような男だぞ」
「えぇよ。人間だれでもそうやねん」
「巨人ファンだぞ」
「あかん。それだけは許されへん」
 そう言うと、春日が振り向く。
 見つめあい、微笑む。
「キス・・・してくれたら許したる」
「んっ」
 目を瞑り、近づく顔。
 交わされる口付け。
「佐伯君・・・好きやねん」

 春。
 卒業と入学。別れと出会い。
「・・・またな」
「ぃゃゃ」
 駅のホーム。
 春日の顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れている。
 佐伯が春日を抱きしめる。
「毎日電話する」
「ほんまに?絶対の絶対に?」
「あぁ。同じ日本なんだ。月に一回は歩の所に遊びにくるよ」
「・・・二回や」
「わかった」
「大学卒業したら、雄一の所にいってえぇ?」
「あぁ。待ってる」
 佐伯は春日の身体を離すと彼女の手をとる。
 そして、ポケットから取り出した小さなリングを薬指にはめ込む。
「そうしたら。結婚しよう」
 今度は春日の方から抱きつく。
「幸せや」
「あぁ。俺もだよ。じゃあ・・・行ってくる」
「頑張ってな。あ、浮気したらあかんよ」
「んっ。愛してる」
 身をかがめ、キスをする。
 長く、しかし二人にとっては短いキス。
「いってらっしゃい」
 佐伯が電車に乗り込む。
 それと同時に閉まるドア。
 彼女は想い人の居なくなったホームで一人、また涙を流した。
 嬉しさ。悲しさ。待ち遠しさ。寂しさ。
 そんな感情が彼女の胸を締め付けていた。




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