「雪宮さんお昼一緒にどう?」
「遠慮しますわ」
 お嬢は一緒にお昼をすることをかたくなに拒否する。
 このやり取りは学年とクラスが変わった日から毎日続いていた。
 俺もこのグループで一緒に食事しているとはいえ、どちらも折れることは無い。
「雪宮もこっちで食べないか?今日は雪宮の分も席を用意しておいたんだぞ」
 同じクラスで一緒に食事をしている幸島が今度は誘う。
 お嬢はちらりとこちらを見てため息をつくと、お弁当を持って立ち上がった。
「仕方ありませんわね」
 おぉ!?お嬢が折れた?
 ひょっとしてお嬢は幸島のことが。
 なるほど。そういうことか。で、あれば。
 俺は幸島と席を取り替えてもらおう。
 こうすれば元々空いていた俺の隣の席にお嬢がやってきて、お嬢は必然と幸島の隣の席となるわけだ。
「というわけで、幸島。席を替わるぞ」
「何がどうというわけなのかわからんが、それはしない方がいいんじゃないか?」
 おぅ?幸島は何をおびえているのだ?
 俺の後ろに何が…………お嬢?
 なぜ、手を振り上げているのです?
 それどころかその手に持たれた凶悪そうな木製の弁当箱は?
 それは角が当たるとものすご〜くいたいんですけど。
「お嬢……何か怒ってます?」
「胸に手をあててよ〜く考えなさい!!」
 がふ。
 お嬢、中身の詰まった弁当箱の角は立派な凶器です。
「馬鹿なことは言わずに、あなたはそこでお昼を食べてしまいなさい」
「……はい」
 俺の隣に座るお嬢。
 本名、雪宮木葉(ゆきみや このは)。黒髪のストレートの日本人形のような綺麗な女性。
 雪宮財団総帥の娘で、自他共に認めるお嬢様だ。
 ちなみに俺は木戸真(きど まこと)。俺の親父がお嬢の父親のボディーガードをしており、なし崩し的に俺がお嬢のボディーガード見習いとなった。
 と言っても、俺はあまりすることもなく、普通に高校生活を楽しんでいるわけなのだが。

 雪宮家の夜は早い。
 お嬢の両親である、旦那様と奥様は普段からこの本宅にはあまり帰ってはこない。
 都心にマンションがあるらしく、二人はそこで生活していると聞く。
 お嬢も高校入学を機に引っ越してこいと言われたらしいのだが、お嬢が拒否したためにお嬢だけが本宅に住んでいた。
 もちろんお手伝いさんなどがいるにはいるが、お嬢の夕飯後には皆帰ってしまう。
「真。いますか?」
「はい」
 今、この本宅にいるのは俺とお嬢の二人だけだ。
 だから、俺がお嬢の側を離れるわけにはいかない。
「姿を現しなさい。貴方は忍者じゃないんですよ?」
「いや、障子を挟んで廊下いるだけなんですけど」
「3つ数える内に部屋に入ってこなければ、明日のお弁当は無しにしてもらいますわよ。ひと〜つ」
 ぐ。弁当無しは正直言ってきつい。
 学食はあるのだが、とてもじゃないがこの雪宮家の食事に慣れてしまった俺には不味くてしょうがない。
 ボディーガードの分際でとか言われそうだが、物心ついたときからお嬢と一緒に食卓についていたのだから勘弁してほしい。
「ふた〜つ」
「失礼します」
 はっきり言って俺にはお嬢が何を考えているのかわからない。
 こうやって部屋に招きいれてくれる日もあれば、絶対に入るなと言われる日もある。
 一度、呼ばれたので部屋に入ったら、中から小柄が飛んできて死にそうな目にあったことも。
 以来、呼ばれてもすぐには部屋に入らないようにしているのだが。
「はじめからそうすればよいのです」
 やはりお嬢の考えは俺にはわからん。
「ご用件は?」
「寝付けなかったら話し相手に呼んだだけですわ」
 なるほど。
 しかし、普段なら布団に入ると同時に寝てしまうようなお嬢が今日はどうして。
「次の日曜。わたくしはお見合いをします」
「はい」
「……相手はお父様のお決めになった方。形の上でのお見合いではありますが、多分、その方と」
 お嬢は小さな声で内縁を決めることになります。そう言った。
 その時のお嬢の顔は寂しさと悲しさが混じった、泣きそうな表情だった。
「はい。私としても、お相手がお優しそうな方でよかったと思っています」
 お嬢のお見合い相手は、高学歴の背格好のよい人だ。写真を拝見した上では優しそうな人だと思う。
「本当にそう思われているのですか?」
「はい」
「貴方は……真は……わたくしが。見ず知らずの殿方と添い遂げてよいとおっしゃるのですか?」
 涙。
 俺はお嬢の涙を見たのは初めてだった。
 綺麗な顔立ちのお嬢の流す涙は、俺の空けた障子から差し込む月の光に反射され、まるでお嬢を飾る宝石のようだった。
「私は、ただのボディーガードです……そのようなこと考える権限はありません」
 お嬢が俺を好いていてくれているのは感じている。そこまで鈍感ではない。
 しかし、俺はそれを許されぬことだと考えていた。
 今更身分などと思われるかもしれないが、俺の体術の師匠でもある祖父がそういった時代錯誤的な考えの持ち主で俺はよくもわるくもその人の孫だ。
「お嬢」
「……真。わたくしを連れて逃げてはくれませんか?わたくしがお父様とお母様の下へ行かなかったのは…貴方がいたから」
「できません。それをしてしまったら、私の父と、私を信じてくださったお嬢のご両親に申し訳が立ちません」
「…………でしたら、わたくしがよいと言うまでそこから動かないでください」
 お嬢が寝床から這い出し、俺のすぐ側までやってくる。
 そして、動くことの出来ない俺の手を取り、それを自らの胸へとあてがう。
 お嬢の激しい心臓の鼓動が伝わる。
 お嬢が俺のことを好いた目で見るようなときは、自らそれを別な方向へ持って行こうと努力してきた。
 しかし、今この場ではそれは不可能だ。
「せめて、せめてわたくしの…純潔だけは真に」
 あげた顔は上気し、瞳も潤んでいる。
 これを美しいと言わずして何を言うのだろうか。
 俺はお嬢の顔に見惚れてしまった。
 ダメだ。ここで理性を無くしてしまったら、本当におしまいだ。
 俺だけではなく、お嬢だって不幸になる可能性だってある。
「……わたくはそんなにも魅力がありませんか?」
 違う。お嬢は魅力的だ。少なくとも俺の中では世界で一番。
「貴方と添い遂げられるなら、この雪宮の姓すらも必要ないと言うのに」
 俺だって出来ることならお嬢と一緒にいたい。
「無理を言ってしまってごめんなさい……真……おやすみなさい」
 …っ。
 いいのか。本当にこれで。俺は間違ってはいない……いないはずなのに。
 なんなんだ、この虚無感は。
 俺の心を闇が覆ってしまったような寒さと悲しさは。
「お嬢!」
「ぁっ」
 ダメだ。お嬢と離れたくない。離したくない。
 柔らかなお嬢の身体が、抱き締めた俺の腕を通して感じられる。
 暖かい。心を覆っていた闇が全て晴れていく。そんな感覚だ。
「真」
「お嬢。どこにも行かないでくれ……俺とずっと一緒にいて欲しい」
「真……わたくしも、わたくしも行きたくありません。ずっと、ずっと真と一緒にいたい」
 お嬢の涙が俺の腕に伝わる。
 熱く。それでいてお嬢の寂しさの冷たさの伝わる涙。
 俺はお嬢を抱き上げ、自分の方に向ける。
 申し合わせたかのような間合いで俺とお嬢は目を瞑る。
「んっ」
 お嬢の唇は柔らかく、お嬢の身体からは甘い香りがした。
 唇を重ねるだけの口付け。
 だが、お互いの気持ちを確認するにはそれだけで十分だった。




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