はぁはぁはぁはぁ。
ボクは走っていた。
ものすごく今あせっている。
別に誰かに追いかけられているわけじゃないよ。
あ、時間に追いかけられてるかな。
う〜ん。ボクって詩人。
ってそんなこと考えてる場合じゃなくて。
あうぅ。列車の時間に遅れちゃうぅ。
もぅ。お兄ちゃんも自分で朝ごはん作って食べてよね。
そこを曲がれば駅だよ。
あう、信号が赤だ。
ん〜・・・えい、渡っちゃえ。
「危ない!!」
ボクは誰かに腕をつかまれて歩道の上に倒される。
そして、すぐ前を一台のバイクがものすごいスピードで走り抜けた。
あはは・・・あのまま横断歩道に出てたら事故にあってたかも。
「ふぅ、大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
立ち上がってボクを助けた人を見る。
ボクよりも少し上かな。
大学生って感じの男の人。
顔は美形の部類にはいるんだろうけど、ボクは和輝くんの顔の方が好き。
「気をつけてね」
「はい。あの、今度お礼に行きますからお名前を」
「あ、ううん。いいよ、じゃあね」
行っちゃった。
いまどきの若い人にしては結構礼儀正しかったな。
って、ボクもいまどきの若い人だけどね。
信号を見ると青信号が点滅している。
「あ、渡らないと!!」
「大丈夫か?」
「う、うん・・・はぁはぁ」
ボクの前に座った和輝くんがお茶をコップに注いでくれる。
駅で待っていた和輝くんと合流し、なんとか列車の時間に間に合った。
今日は和輝くんと二人で旅行なんだ。
一泊二日だけど、温泉に行くの。
「別に乗り遅れても、一本後ので行けばよかったんだけどな」
「いいの。だって、早く二人っきりになりたかったんだもん」
「うれしいこと言ってくれて。俺も茜が急いで来てくれた見て嬉しかったよ」
「えへへ」
和輝くんはお兄ちゃんとの決闘の後からものすごく優しい。
その前も十分優しかったけど、なんていうかな、彼氏としての優しさみたいなのが増えたかな。
「あ、でもお金大丈夫なの?」
「おう。親父が出してくれてさ。羽伸ばしてこいって」
「そっか」
和輝くんのお父さんって、ちょっとお茶目な感じなんだよね。
ボクもまだ何回かしか会ってないけど、いっつも何かで脅かされたりして。
和輝くんのことに対しても、ラフというかなんというか。
親子というより、年の離れた兄弟みたいな感じだったなぁ。
「じゃあ、ゆっくりノンビリしようね」
「あぁ」
「ふぁぁぁぁぁ」
「そんなところで大きな口開けてたら馬鹿みたいに見えるぞ」
「だって、だって。こんなに大きな旅館だなんて聞いてないよ。もっと、普通の旅館をイメージしてたのに」
ボクたちの前にそびえる3階建ての大きな旅館。
木造建築で建造はかなり古そう。
でも、どこも汚くなくて、お手入れが行き届いてる証拠だよね。
それに高級感も漂ってて。
「和輝くん」
「あ?」
「ボク、すっごく嬉しいよ。ありがとう」
「おう。さ、こんなところで立ち話もなんだし中に入ろうぜ」
『いらっしゃいませ』
ふわぁ。
お出迎えだよ、お出迎え。
玄関のところに女中さんがいっぱい並んでて。
生でこんなの見たの初めて。
「牧様でございますね」
うわ、綺麗な人。
女将さんかな?
「えぇ」
「本日は当旅館をご利用いただきまことにありがとうございます。わたくしは女将を勤めさせていただいております雅と申します」
まだ若いよね。
30代前半くらいかな。
赤い紬からのぞく首筋がすごく綺麗。
「今日、明日とよろしく」
「はい。では、お部屋にご案内いたします。お荷物を」
和輝くんが荷物を渡したのに習って、ボクも同じようにする。
「こちらでございます」
あ・・・す、すっごぉい。
窓から見える山は、雪が積もっていて真っ白。
でも、真っ白の中でも風情があって、まるで水墨画の世界みたい。
「では、後ほど若旦那様が挨拶に参りますので。ごゆっくりおくつろぎください」
「はい」
あ、あはは。
ボク一人ではしゃいじゃった。
でも、こんないい場所に連れてきてもらって興奮しない方が無理だよ。
「どうだ、気にいったか?」
「うん。もうサイコーだよ。本当にありがとう」
「ふっふっふ。満足するのはまだはやいぞ。温泉に行こうぜ」
「うん・・・あ、まさか混浴?」
「ん〜、残念ながら違うんだ、けど」
「けど」
「あぁ・・・それはいいか。夜のお楽しみだ」
んもう。
でも、なんだろう。
楽しみだなぁ。
温泉も大好きだし、ん〜っ。シアワセ。
「いいお湯だったね」
「あぁ。ここの温泉は肌にいいらしいな」
「そうなの!?後でもう一回入ってこよっと」
ゆっくりと温泉につかっていたから、すでに日が暮れ始めていた。
女中さんたちがお膳を持って歩いている姿を見かける。
そっか、もう晩御飯なんだね。
「ふっふっふ。期待してていいぞ」
「うん!」
期待しながら部屋の戸を開ける。
・・・・・・
ボクは目を疑った。
ウソ。
「どうだ」
広いテーブルの上に料理がたくさん乗ってる。
船盛りをはじめとした海鮮料理や、山菜をつかった料理もいっぱい。
「うぅ、おいしそう」
「だろ。っていっても、考えていたよりも多いな」
うん。
二人で食べきれるかな?
ボクらが席につくと、戸をノックする音が聞こえる。
「どうぞ」
「挨拶が遅くなり、申し訳ございません。当旅館の責任者を勤めさせてもらっている相馬と申します」
戸が開いて男の人が入ってくる。
責任者・・・あぁ、さっき女将さんが言ってた若旦那か。
「当旅館自慢の温泉はいかがでしたでしょうか」
「ゆっくりくつろがせてもらいましたよ」
「そうですか、それはよかった」
あれ?でも、この声・・・あっ。
「あなた昼間の」
「あぁ。あなた様でしたか。お怪我はございませんでしたか?」
若旦那は昼間ボクを助けてくれた人だった。
うぅん、こんな偶然があるなんて、今日は驚きの連続だよ。
「はい。おかげさまで。本当にありがとうございました」
「いえ、あなた様のようなお可愛らしい体に傷でもついたらそれは大変なことですから」
えへへ。可愛らしいだって。
ほめられちゃった。
「でも、すごいですね。その若さで若旦那だなんて」
「いえいえ。先代が私の父でして。まだ若輩で勉強中の身なのですが、女将たちが若旦那と勝手に呼んでまして」
厚真さんは苦笑いを浮かべる。
人当たりもいいし、丁寧だし。
それに結構かっこいいし、もてるだろうなぁ。
「あ、いえ。それほどでもございませんよ」
「え。あ、あはは。そうですか?」
あはは。声に出ちゃってた。
失敗失敗。
「それに、良縁にも恵まれてませんので」
「そんなことないですよ。まだ若いんですし、これからいい人見つかりますって」
「ありがとうございます。それでは、お料理が冷めないうちにどうぞお召し上がりください。では」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
ボクは立ち上がって戸口まで見送る。
「さ、ご飯ご飯・・・あれ?和輝くん食べないの?」
「もう食った。一人で食えば10分もあれば十分だからな」
あ、本当に和輝くんの前だけご馳走がないや。
もぅ。待っててくれてもいいじゃないか。
「それじゃあ、俺は寝る」
「え?」
だってまだ7時前だよ?
あ、本当に寝室に入っちゃった。
寝室にはもう布団が敷いてあるんだ・・・あぅ、布団がくっついて並べられてる。
でも、和輝くんとなら。
じゃあ、ボクもご飯にしよっと。いただきます。
むぅ。料理・・・おいしいんだけど・・・一人で食べてもおいしくないや。
はぁ・・・もう少しお腹減らしてから食べようっと。
「もう一回、お風呂いって来るね」
和輝くんから返事はない。
寝ちゃったのかな?まさか・・・ね。
ふぅ、でもどうしたんだろう。
「おや、一文字様。どちらに?」
廊下を歩いていると相馬さんに声をかけられた。
「お風呂です。あ、そういえばボク、名前言いましたっけ?」
「宿帳を拝見させていただきましたから。お客様の名前を覚えるのは責任者の最初の仕事ですから」
「へぇ、大変なんですね」
ボクなんてクラスメートの名前を覚えるのでも難しいのに。
「いえ。そういえば牧様は」
「あ、なんか、一人で寝室にこもっちゃって」
「あ・・・ひょっとして、わたくしたちが話しているのをあまり好ましく思っていなかったのでは」
おぉ。
ひょっとして、嫉妬ってやつ?
和輝くんってそういうの無いかなと思ってたんだけど。
んふふ、そっか。ちょっと嬉しい。
あとでちゃんと謝っておこうっと。
「明日、お時間がおありでしたら、観光名所をお教えしますが?」
「あ、お願いします。ふぅ、もう一日泊まれたらなぁ」
「明後日は学校がおありですか?」
「いえ、3年は自主登校期間にはいったんで、行かなくてもいいんですけど」
「ならもう一日いかがですか?そのほうが明日の観光地めぐりも楽しいものになると思いますよ」
「そうですね」
「牧様には私の方から伝えておきますよ」
「ありがとうございます。じゃあ、お風呂に行ってきますね」
「ごゆっくり」
ふぅ、あと1日あれば、和輝くんとゆっくりと出来るし。
ちゃんと誤解をといて話せば。
明日は今日よりもずっと楽しくなるよね。
さ、お風呂にはいってこよっと。
「ふぅ、ただいまぁ。和輝くん起きてる?」
「・・・あぁ」
ちょっと声が暗い感じだけど起きてるみたいだね。
「開けるよ」
あれ?
確か、夕飯の時に寝室を見たときは布団がくっついていたような?
「なんだ?」
明らかに声が暗い。
というか、怒ってる?
相馬さん、話にこなかったのかな?
「あのね。明日なんだけど」
「好きにすればいいだろ、観光でもなんでも」
あ、知ってた。
ならなんで怒ってるんだろ。
「でね、ボクね」
「悪い、眠いんだ。寝る」
「え・・・あ、おやすみ」
眠くて怒ってたのかな。
でも、和輝くんって眠いときに不機嫌になる人だったけ。
一人で起きててもつまらないし。
あまりご飯も食べたくないからねようかな。
明日、早く起きて和輝くんにもう一回話しないといけないし。
「じゃあ、おやすみ。和輝くん」
「んっ・・・ん〜〜」
ふわぁぁ。よく寝た。
えっと、時間は・・・6時半か。
昨日早く寝たからこんな時間に起きちゃった。
和輝くんはまだ寝てる・・・あれ?
「和輝くん?」
布団の中に和輝くんの姿がない。
どこいったんだろう。
朝風呂かな?
でも、カバンも何もないや。
「あ・・・手紙?」
机の上に一枚の紙があがってる。
えっと。
『茜へ。俺は帰る。こんなことになるなら茜をつれてこなければよかった。じゃあな』
うそ・・・
帰っちゃったの?
ボクは廊下に出た。
えっと、あの受付の女中さんなら何か知ってるかな?
「あの、牧くんなんですけど、帰ったって手紙があって。知りませんか?」
「牧様?・・・あぁ、えっと、午前3時にご退室になっております。一文字様の分の宿泊代はもらっておりますが」
3時って。
3時間以上も前に・・・和輝くん、なんで・・・
ボクも帰ろう。
「あ、一文字様。おはようございます。よく眠れましたか?」
「相馬さんおはようございます。あの、今日の観光案内はキャンセルでお願いします。和輝くん帰っちゃって」
「そうでございますか・・・しかし、でしたら一文字様だけでもいかがでしょうか?少し、お話もしてみたいですし」
え。お話って。
でも、ボクは和輝くんのことが。
「じゃあ、午前中だけ」
ごめんね、和輝くん。
相馬さんは命の恩人だし、せっかくの誘いを断れないよ。
「では、後ほどお部屋に参りますので、出かける準備をお願いします」
ボクは今、相馬さんの車の助手席に乗っている。
でも、やっぱり帰ればよかったかな。
和輝くん・・・
「ぁの」
「一文字さま、そこのダッシュボードの中の写真をごらんください」
「え?」
ボクはいわれてダッシュボードを開ける。
中には四角い透明な箱があり、その中に写真が収められていた。
「あ・・・これ」
ボクの写真だ。
これも、これも・・・全部ボクの。
「一文字様。いえ、茜さん。実は私はあなたに会うのは初めてじゃないんですよ」
「え?」
「私の父と茜さんのお父様がお知り合いで、以前1週間だけ泊まりに行ったことがあるのです」
「ん〜・・・ごめんなさい、覚えてません」
「そのときは、まだあなたは3歳ぐらいでしたから、覚えてないのも無理はないですよ」
そうだったんだ。
そういえば、この写真、家にもある。
確か、お父さんとお母さんが撮ってくれた写真だ。
「お父様からお聞きになっておりませんか?私のことを」
「え?」
「私とあなたが許婚であると言うことです」
許婚?
うそ・・・そんな話聞いたことないよ。
「じょ、冗談ですよね?」
「冗談なんかではありません。なんなら、お父様に確認をとられても結構ですよ」
そんな。
ボクに許婚が?
だって、そんな話聞いたことないし。
じゃあ、和輝くんとはどうなるの?
「それで、牧様との関係を終わらせていただきます」
え・・・そんな。
「実は、昨日、少し牧様には嘘をつきました」
「嘘?」
「今日は私と二人で観光して、一泊したいから、明日は一人で帰ってくれと、茜さんに言われましたと」
「そんな!!」
そんな。
それじゃあ、和輝くんが怒るのも無理はないよ。
だって、実際に思っていたことの逆なんだもん。
「酷い・・・」
「しかし、こうするしか方法がなかったのです・・・今日は当旅館で最高のもてなしをさせていただきます。もちろん御代はいりません」
「いや。帰る・・・ボク、あなたと一緒にはいたくありません」
「だめですよ。あなたの荷物はまだ旅館の中です。今頃は私の私室に運ばれているはずです」
和輝くん・・・助けて・・・
ボク、ボク・・・
「今晩は、私の部屋で宿泊していただきます」